そういえば軍神広瀬武夫中佐も、日清戦争で清国から捕獲した軍艦「鎮遠」の移送を担当したとき、支那人水兵たちが使っていたトイレが、あまりにも汚い。
それを広瀬中佐は、移送艦中、いちばん偉い人であったにもかかわらず、先頭にたって「清掃というものは一番汚いところからやるものだ」と、便所掃除をしたというのも有名な話です。

なにせ清国の船の便所です。
相当汚かったであろうことは容易に想像できます。
普通、ちょいと近寄りたくない。

当時はいまのようなトイレ用洗剤なんて便利なものはないです。
水と雑巾だけで、こびり着いた汚れを落とす。
それでも落ちない汚れは、竹べらなどを使う。
ところがこのとき、艦内には竹べらのようなものがなかったのだそうです。

なので広瀬中佐は、ためらう部下たちを尻目に、汚れを爪で擦り落としたという。
これまた有名な話です。

トイレというところは、汚れる場所だからこそ、率先してきれいにする。

そういえば、支那では南京市に「南京大虐殺記念館」なんてものを作っているけれど、実は、この記念館、訪れる人はほとんどいない。
南京で、多くの観光客が訪れるのは、むしろ紫金山で、こちらの方は、登山道に毎日1000人以上が来ています。
休みの日には、この登山客が倍になる。

この登山道に入り口に、実は公衆トイレがあるのですが、このトイレを逃すと、1800段の階段を上って山頂にたどり着くまで、用をたせるところがありません。
そのため、ここのトイレは、毎日、長蛇の列ができる大人気スポットです。

ところが、このトイレ、3m四方くらいの面積に、用をたすための穴が男女それぞれ1つづつです。
しかもトイレに扉がなく、男用、女用の標識も汚れて良く見えない。
穴を囲むレンガの壁は、人の背丈の半分ほどで、男女とも、中は、まるみえです。

しかも、用をたすための穴には、大量の大便や紙が山のように積みあがり、汚水が溢れ、晴れの日は人を持ち上げられるほどのハエが群がり、雨の日はまったく足の踏み場がなくなる。
そしてトイレまで十数メートルの距離に近づくだけで、強烈な臭気が鼻をつきます。

日本でも、私などが子供の頃は、トイレといえばボットン式で、出した便が落ちた瞬間に、跳ね返った汚水がお尻について、「やあ、お釣りがきた」などと、まあ、よろこびはしませんが、そんなことは普通にありました。

けれど、トイレを清潔に保つことは、小さい頃から徹底していて、少しでも汚すと、小学生でも自分で綺麗になるまで掃除させられたものです。

そういえば、高速道路のパーキングのトイレで、人柄の良さそうなお爺さんが、小用の便器の手前にほんの少しこぼれたおつゆを、自分でトイレットペーパーで丁寧に拭き取っている姿を見たことがあります。

いささかビロウな話が続いてしまいましたが、何を言いたいかというと、日本人は、自分が用をたすことよりも、後に使う人のことを考え、行動する。
それが、普通のごく一般的な日本人の感覚であり、文化であった、ということです。

縄文中期、いまから8千年ほどまえから、稲作農耕を営んできた日本人は、稲作が灌漑という水路を敷く事業であるだけに、みんなで協力し、力を合わせて助け合うという集団性をとても大切にする文化を熟成させてきました。

ですから「オレがオレが」ではなく、まずは「みなさんに」というのが日本人の常識であり行動です。
自分のことより、他人のことを気遣う。
そうした日本人の習性は、あの東日本大震災のときに、自分だって大怪我をしてたいへんなのに、奥にいる年寄りを先に助けてやってくれと、救護隊に頼み、そして息絶えてしまったという数多くの事例にも垣間みることができます。

そういう日本人にとって労働は、自分が利益を得て贅沢をするものでなく、「はたを楽にする」ためのものとされている。
みんなのために、自分なりにできる最大限の貢献をする。
それが働くということだという意識が、常に根底にあります。

そして一緒に働く仲間たちと、苦労をともにする。
その仲間を、家族のように思い、大切にする。
それが日本人のあたりまえの感覚です。

ですから施政者は、日本では、もちろん「権力者」であるけれど、人としては上司も部下も同じ人です。
お正月映画といえば、かつては「寅さん」、少し前までは「釣りバカ日誌」が定番でした。

「寅さん」は風来坊ですが、それでも妹や家族を心のどこかで常に大切に思っている。
そんな寅さんを、帝釈天の和尚さんまでが、家族のように大切にしてくれている。

「釣りバカ日誌」では、会社の会長さんという偉い人(三国連太郎)が、日常生活では平社員の浜さん(西田敏行)と、釣りのときには師匠と弟子の関係になる。
欧米では、まったく考えられないことです。

そういえば、江戸時代、ご家老が家に訪ねてきたとき、もちろんご家老が上下をつけておこしになられたときには、玄関先で正座に低頭で正装してお出迎えしますが、着流し姿で勝手口からおいでになられたときには、迎える側も、ただの近所のおじさんとして、普段着のまま相対でお迎えしたものです。
これは庄屋さんやお百姓さんなどの場合でも同じです。

つまり身分というのは、秩序のためのものであり、その秩序をみんなで尊重し、保つ。そのために礼法も用いたわけです。
上下(かみしも)を脱ぐということは、人として対等にたつ、ということで、そういうときには、普段着のままの生の人間として接する。

これは実は、欧米人や、支那朝鮮族などと日本人が決定的に違うところで、彼らにとっては、配下の民衆は、いわば私有物(モノ)でしかない。
ですから西洋の中世の王侯貴族にとって、民衆はあくまで私有民だったし、これが支那あたりになると、私有民というだけでなく、食べ物という側面にさえなっていました。

これを民衆の側から見れば、私有民ですから、当然、私有財産も認められないわけで、まさに生涯、収奪されつづけるわけです。
人は労働しなければ、食べていくことはできませんが、その労働が、私有民として、収奪され続けるという労働であるならば、仕事などいくらやってもおもしろくない。
ですから西洋において、労働が「神に与えられた原罪である」とされたのも、無理からぬ話です。

ところが日本では、民衆は私有民でなく公民です。
誰の公民かといえば、天皇の民です。
権力者(施政者)も、その天皇に政治を委ねられた民衆のひとりでしかない。

そして権力者(施政者)は、民衆の幸せや安寧を第一とするための責任を負担するものであり、その権力者(施政者)が預かっているのは、私有民ではなく、天下の公民です。
そして公民は、みんなのために施政者に誠意をもって協力し、施政者もそういう公民のために、粉骨努力する。

そういう社会の仕組みを、日本は古代の昔から作ってきたわけです。

そしてその心が根底にあるからこそ、偉い人でも、トイレにこびりついた糞を爪で削り取ったり、きれいな公衆トイレを、自分でも綺麗につかおうと行動する。

そうしてみんなが、きれいな国にしていくことで、国全体がきれいで、気持ちよく、すごしやすい国になる。

冒頭の写真は、江戸時代の中山道の宿場町のスナップ写真です。
道路は、もちろん舗装などされていません。

けれどその道路に、ゴミひとつ落ちていず、雑草もない。
なぜなら町の人が、自分たちで早起きして、毎朝掃除をしていたからです。

それに比べて、戦後の私達の日本はどうでしょう。
道路は舗装されたけれど、けっして綺麗とはいえない。
路肩の植え込みの中にさえ、空き缶やペットボトルが捨てられている。
繁華街の早朝など、まるで外国映画に出て来るスラム街です。

世の中に余裕がなくなったからだという人もいますが、それ以前に、日本人が日本人らしさを失い、そこへ大量の、衛生観念のない外国人が入り込んで、ますます日本を汚している。

どうなのでしょう。
私達が孫子(まごこ)に後世に伝えるべき日本は、薄汚く汚れた日本なのでしょうか。
それとも、清潔で衛生的な美しい日本なのでしょうか。

さて、大晦日となりました。

今年は、壬辰(みずのえたつ)の年で、新しい息吹が芽生える年まわりでした。
そして年末には天の岩戸が開き、自民党安倍政権が誕生しました。

来年は、癸巳(みずのとみ)の年です。
どんな年になるのでしょうか。
これについては、元旦の記事をお楽しみに♪

それではみなさま、今年一年ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎え下さいませ^^